周りに流される力
こんにちは じょーじです
はじめに
最近、リベラル派(先進的な人)の「自由に生きてる?」「社会に縛られるな」みたいなのが目立っているように感じる。
もちろん個人がそう思っているのは、何の問題もないし、一理あるものも多い。
しかし巷には、違う考え方を排除しようとする人間(過激派)も少なくないし、肩肘張っているような印象も強い。
おそらく正しいかを争っているのだろう。
真剣に考え、自分なりの「答え」を見つけたら、それはそれで正解の一つと言える。
しかし、唯一無二の真理の「答え」という意味では、どれも正解ではないとも思う。
周りに流されることを推進する時代ではないからこそ、僕は面白いと思うし、勧めたい
周りに流されることのメリットとデメリット
メリット
- 自分の意思では、絶対やらない経験ができる(食わず嫌いなことも)
- 集団の中にいるときの自分を知れる(集団心理的な面、知らない自分を知る)
- 共感性が高まる(話すときに共通点がある)
デメリット
- 独自性が低い、視野が狭まる(以下が原因)
- 新しい事をするときに周りの目が気になる(集団心理)
- みんなの意思が自分の意思に錯覚する(集団心理)
(あえて)周りに流される力とは
周りに流されることによるメリットだけを享受すること
これは、結構難しいです。
意識してみると自らの考えではなく、決めていること(意見、考え、行動)が意外に多いことに気づきます。
ある程度、意識することで逃れることはできても、人間をやめない限り完全には無理なので上手くやっていくしかないです。
=「周りにあえて流されてみよう」という考えの上で集団に入ればいい。
無論、人間の集まりだからデメリットも生じるが彼らなら、それも学びにできる。
つまり、そのデメリットさえも、世間の価値観や常識との乖離も防げるし、共感を持って、現実的に社会を良くする方法も考えられるだろう
=デメリットをメリットに
僕の考え(長いです)
考え方の違いについては、しょうがない。
でも簡単に理解できる方法がある。
それこそ、あえてその人達に流されてみる、乗っかってみること。
デメリットもあるがそれも悪くないと思えるはずだ。
論理的でないし、無駄とも思えるが心地がいい。
そんなものが、この世には、あるのだ。
「自由は、自分の手で掴むものである」
確かにそうであろう。
しかし、僕は「規制の中でしか生まれない自由(面白いこと)」もあると確信している。
でも一度思い出してみてほしい。
規制の多い学生時代、そんなにひどかったものだろうか?
体育祭、合唱祭、文化祭、部活動、勉強、色々なことがあった。
辛いし、めんどくさいし、嫌な奴もいたかもしれない。
でも、いざやってみるとなんか楽しくて、気が合わないと思っていた奴ともイベントを通して仲良くなったりして。
人は、自分のことを、他人のことを、世界のことを、人間のことを実は全然知らない。
知った気になっているだけ。
だから「自分は、こういう人間だから」って決めてしまう前に他の可能性を探してほしい。
これが現実を見るということだと思う。正しく捉えることだと思う。
褒められることではないが好きなことは、誰にでもあるし、悪いことではない。
それを他人に認めさせようとしたり、好きなもの=良いもの と事実を改変するのでは
なく、認めてあげられる自分を追い求めてほしい。
以上です。