価値観を2つに分けてみる
こんにちは? じょーじです
はじめに
価値観とは、主に自分の領域と社会の領域の2つとします。
2つの区別をしてみる
自分の領域(絶対的価値観)
趣味や思想を代表とする、人に押し付けない限り人間の保障される権利。
他の人間や人々に理解されなくても構わない。
例)オタク文化(今でも偏見は、多い。しかしその事実がこの文化を強くしている。理
解されないほど、深く鋭くなる。)
自分の領域(僕の場合)
大切にしているのは、自己満足です。
自己満足=幸せ
結果を求めず、意味も理由も求めない。
まさに第六感や直観など(理論性をいい意味で無視した判断)による行動。
社会の領域(相対的価値観)
ビジネス、公共の場(SNSを含むソーシャルメディア)など他人を相手にするもの
社会の中では、周りの人間たちがどう思うかが全て、周りの目を気にしなければならない。(自分の思想、気持ち、考えは、全く関係ない。)
これら2つの混合とSocial Mediaにより生まれている違和感(私見)
「自分領域のものを外(社会や公共)に持ち出し、誰かに強要すること(必要以上の理解と尊厳を求めること)は愚かである。」
近年、その傾向が強くなっている気がする。
多様化とは、名ばかりの少数(個人)の考え方や文化への「理解の強要」。
現代の日本の風潮を批判、否定している人達は、世界の風潮に合わせているだけのことが多い。
ネットの発達によりそんな彼らが得たのは、一見正論に見える「言い訳」である。
正当化できる知とその発信力。
環境のせいにして、バカのくせに文句だけはちゃんと言う。
どの時代にもそんな奴らは、存在する。
もちろんいい面も悪い面もありますが、その発信力によって、「共感」を一部から得て、それがさも大衆の総意のように見られてしまってもおかしくない状態まで広がる。
その中で第三者の価値観や考え方を自分の考えのように錯覚する。
=最悪
無論、me too運動など、不利な立場や恥ずかしいから、公言しにくいことも
- 発言しやすい
- 共感を得れる
- 文面でインターネットに流れることで消されないなど
良い面は、確実に存在する。
求められる能力
2つの 価値観の正確な分析と認識。
様々なことを2つのうちどちらに分類されるのか?
それを認知し、受け入れ、そして理解する。
この工程を常に自分の情報をアップデートするみたいに繰り返す。
しかも毎回項目は、少しずつ変化する。
(自分に必要ない項目は次のアプデには、いらない。しかし、環境や考え方の変化による新たな項目が増えることもある。)
「今」思う結論
分類した上で、内側のものを充実させてやろう!
そんな気概です。
そのために外側の価値観を正しく捉え、精進していきたいと思います
同じことを思う人は、あえて無駄をする。
やってみてください。
以上です ぁざした