褒められるとやる気なくなる。
ちゃっす
今回は、邪魔すんなっていうことを書きたいと思います。
子どもを育てる上で褒めて伸ばす教育というのが言われています。
これは、家庭内だけでなく、学校でも同様に言われます。
確かに貶されるよりかは、良いと思いますが、僕の感覚で言うと邪魔です。
もちろん、褒める方の人に悪意や悪気がないこと、皮肉で言っているわけではないこともわかっている上です。
というのも、内在的なモチベーションでやっていたことを褒められることで、
外的影響によるものと錯覚を引き起こしてしまう気がするからです。
好きな物事ほど、それが怖くなってしまいます。
熱意があるほど顕著です。
好きだからやっていたことが、褒められたいからやるにすり替わってしまうからです。
前者は、その行為自体がゴールで、後者になると良い結果がゴールです。
つまり、ゴールを遠ざけてしまいます。
自分でも、どちらかがわからなくなっていき、自分がしたいことと求められるからやっていることの見分けがつかなくなります。
これの例として、勉強があると思います。
初めのうちは、知ることが楽しかったり、問題を解くこと楽しかったりしたはずが、
勉強をしているうちに褒められるようになり、点数を求め始めます。
その究極系がカンニングです。
本来は、その答えに行き着く過程や、何故そうなるのかが大切なポイントなはずなのに、
正しい答えを書き写すことが求められるテストにおいて、ブラックボックス化していても構わないことになってしまいます。
こうなると解き方を知っているか?答えを知っているか?の暗記物になってしまいます。
そうすると元来の勉強への楽しみは失われ、勉強へのプライドもなくなり、求められる学習をするようになります。
興味のないもの、苦手なものが誰しも往々にしてあり、乗り越えることができなかった人は、勉強そのものに苦手意識を持ってしまったり、勉強をやらされるものと定義づけしてしまう。
これは、とっても寂しいことです。
褒められると嬉しくなる。
これ自体は、いいことでも本質をずらしてしまう。
それを感じてしまうから、褒められるという他者の評価が邪魔になる。
だから熱狂的なファンの多いものは、褒められないものだ。
逆に社会性の強いもの(学問)は、熱狂的になる人は少ない。
国民のほとんどが一定時間、学問に時間を費やしながら、学者を目指す人は数%だろう。
このことから、ある程度放置してあげてほしい。
それこそがその人の好きを伸ばすはずだ。