人間note

思ったことを書いてます

学校は、無駄でいい。

こんにちは じょーじです。

 

今回は、学校は無駄でいいんだという
僕の叫びを書いていきたいと思います。

 

まず僕は、2000年生まれです。

そして、小中学校は、公立に通ってました。

以上のことを踏まえて、読んでいただければ幸いです。

 

 

学校の現状

 

学校と教育は、切り離せないものになっています。

しかし、そもそも学校に重荷を背負わせすぎのように感じます。

 

学校は、バランスを取るのが難しい。

教養と授業を楽しくするバランスが。

そこでクラス制があります。

クラスで人間社会を学ばせ、

授業は学びたくなるさわりだけでいいように。

 

これを可能にしないのは、学校への認識のズレでしょう。

世代や価値観が保護者の方達、学校側や勤める先生方、政府の間で統一されていない。

そして、クラスを持つ先生が部活や授業を持っている点も挙げられます。

忙しすぎる。業務だけでなく、対人間の数が多すぎる。

神経を使う仕事に使えなくなるほどの疲労を溜めた状態での業務は、地獄です。

なぜ、地獄かって? 自覚しているからです。

満足なパフォーマンスが出せないことに。しかも相手は、子供。

取り返しのつく相手とは、考えられない。

行き着く先は、自己嫌悪。

もちろん、こなせる先生もいるでしょう。

しかし、その人が向いている、優秀、恵まれているの三拍子が揃っている場合のみです。

ここまで、全て僕の想像です。

 

そこで、別の種類にするのがいいのでは?

というのが僕の提案です。

クラス教員、授業教員の大きく2つに

クラス教員は、クラスを持つ、集会、風紀の担当。

授業教員は、授業だけの契約社員。近い学校をいくつも回る。

なんてのは、外野からの合理性を求めたもので

実際には、こんな簡単ではないでしょうが、

こんなのもあるよー程度で大丈夫です。

 

本題

 

学校は、将来役立つことを教えていないとか

言われていますが、僕はそれでいいと思います。

正直学校は、子供が集まり、社会を形成するだけの場。

そういった意味では、勉強はオプションです。

という価値観で僕は学校に行っていたので

ちゃんとしたことを教えられた日にゃ堪ったもんじゃない。

しかもそんな大切な時期に。

僕は、勉強せず、部活(サッカー)したり、バスケしたり、友達と喋ったりしてました。

それは、僕にとって学校は、はなから無駄なことや非合理なことが多いけど、

将来、仕事になったり、役に立つとは思えないことに時間を費やすことができました。

これがもし親も学校も先生も超合理的かつ正論ばっかだったら、

こっちまで変に考えすぎて、時間のコスパを考えてしまったと思います。

 

さっきまで書いていたことと違うかもしれませんが、

学校は、カオスでいいのではないでしょうか?

それも含めて社会や人間を表しているし、

世代によって、属しているグループ(保護者、教員、子供)によって、

認識やあるべき姿、願望が違うし、

そのグループの中でも個人によっても異なるということが自然なのかもしれません。

そういった意味で全会一致になることはないが答えを求め続けなければならない。

学校は、常に社会問題の最前線にあるのかもしれません。

 

では、では